【JREC-IN】教員採用人事の最前線から1【公募】
今日は、大学の専任教員の採用について書こうと思う。
基本的に大学教員になれるかなれないかは「運」だと思う。
まず、ふつうの会社と違って、求人募集があまりない。
大学は、抱えていてもいい専任教員の数が決まっているのである。
だから、ある大学から求人が出るとすると、
- 定年退職などで空きが出た場合
- 他の大学に移動する人が出た場合
- 新しく学部学科などを立ち上げて新規に教員を必要とする場合
の3パターンにほぼ限定される。
つまり、基本的に何もなければ教員が新規に募集されることはない。
だから大学教員を目指す人は、どこかのポストが空くのを待たなければならない。
空くか空かないかは、運しだいなのだ。
運よく空いても、すぐに教員なれるわけではない。
それどころか求人が出ても、書類を送ることすらできないかもしれない。
なぜなら、求人内容と自分が研究している分野がマッチしないといけないからだ。
例えば、あなたは哲学のなかの「現象学」を専門にしていたとしよう。
そのなかでも、特にフッサールについて深く研究しているとする。
そこへ、哲学教員の求人(公募という)が出た。
残念ながら、あなたは今回は見送ることになるだろう。
なぜなら、公募内容は「フランス現代哲学」を専門とする人が対象だからだ。
フッサールはドイツ哲学なので、書類を送るだけ無駄だろう。
このように、公募内容と自分の専門の一致が前提なのだ。
これも運しだいなのがわかるだろう。
これはまだ序の口で、大学教員の公募に出すだけでも実に様々なハードルがある。
このハードルを乗り越えて書類を送り、審査に通った人が面接に進める。
この面接には、ふつう「模擬授業」がセットとなっている。
色々な形があるが、いずれにしても面接者は、その場で「授業」をやらされるのだ。
その面接+模擬授業に挑み、見事勝ち残ったものが、
晴れて大学教員になれる仕組みなのだ。
つまり、自分の授業スタイルが評価されないとアウトなのだ。
これは面接官の好みに左右されるところが大きい。(もちろんそれだけではないが)
だから、これも運なのだ。
このように、大学の教員を目指すことは「運」との戦いでもある。
優秀だからなれるのではなく、強運の持ち主がなれる世界だともいえる。
本当に過酷で厳しいいばらの道を歩まなければならないのだ。
しかし、近道は確かに存在する。
コネや裏口という姑息なものではなく、公募戦線で勝ち残る技術があるのだ。
私は、いまの大学に就職するまでに、100校近くの公募に落ち続けてきた。
最初の50校くらいまでは、自分の何がダメなのかわかっていなかった。
次第にいろいろわかるようになり、
最終的には日本でもまあまあ「良い」大学に就職できた。
そして今は、採用人事を担当している。
たくさんの応募書類に目を通し、たくさんの候補者と面接するなかで、
「ここをこうしてくれたら!」「書類はよかったのに!」
という経験をたくさんしてきた。
そんな自分の経験をもとに、採用されるための近道をまとめたのが次の記事だ。
今回は【応募書類】に特化して書いている。
しかし「書類の書き方」ではなく、
その前段階で注意しなければならないことを細かく書いた。
そもそも通る人と通らない人の間には、最初からものすごい開きがある。
この「開き」が何なのかを知らずに公募に参戦することは、
ある山を登るのに、地図を持っている人といない人くらいの差がある。
山に登るために、地図は一番大事な装備品の一つだ。
それ無しで地図を持ってる人と同じように登れるはずがない。
具体的には「足きり」について詳しく書いた。
自分もかつてかなり気にしていたし、今も後輩から質問されることに、
「教歴の有無はどの程度大事か?」
というものがある。
最近は大学でも「きちんと授業できる教員」が求められていて、
応募段階で教育経験がどの程度あるかをチェックすることがある。
記事の内容を少しだけ書くと、教歴の有無は必ず見られていると思ってよい。
教歴の有無が問題にならないことは、まずない。
しかし、こう書くと「自分は教歴5年あるから他の人より有利だ」と思う人がいる。
これは誤りである。採用する側にとって、教歴の年数よりも重要なポイントがある。
ここを見抜けない応募者が多く、残念ながら撃沈している人が後を絶たない。
記事では、こうした情報を論じている。
大学専任教員を目指している人には、必読だ。
この記事は全3回を予定していて、これを読めば公募のポイントがすべてわかる。
ぜひ目を通してほしい。
大学教員の採用人事を知る1―応募書類編|ダイガク享受|note