ダイガク享受のつぶやき

現役大学教員が書く、大学を目指す人に役立つブログ。

【JREC-IN】教員採用人事の最前線から2【公募】

今日は前回記事の第二弾である。

前回の記事では、大学教員になるためには「運」がほしいこと、

しかし「近道」が存在すること、などを書いた。

その近道について、「足きり」を中心に詳しく論じた以下の記事を紹介した。

 

大学教員の採用人事を知る1―応募書類編|ダイガク享受|note

 

自分はいま、大学教員の採用人事を担当している。

今年も公募の時期に差し掛かり、応募書類を読む毎日である。

応募書類は「足きり」フィルターでふるいにかけられるのだが、

その基準を知らない応募者があまりにも多いことを憂いて、

前回の記事を書いた。

反響は大きく、すでに多くの読者から支持をいただいている。

公募の時期でもあるためか、こちらの想像を上回るもので、

それならば!と、急いで第二弾を書いたところである。

 

今回のテーマは【書類審査】についてである。

この書類審査は、人事プロセスのなかで最も外部から見えにくいところだ。

そのブラックボックスを明らかにすることで、採用人事の核心に迫った。

note.mu

 

文字数12,000字を超える大作である。原稿用紙30枚以上と聞けば、その情報量の多さを理解できるだろう。【書類審査】は人事のメインでもあるので、あらゆる項目を様々な視点から解説するよう工夫した。

 

この記事の内容との関連で、「業績」について簡単に述べたい。

業績は実に様々な評価が可能で、一概に「これが大事」とは言えない側面もある。

よく耳にするところでは、業績は数が最も大事であるとか、

いや掲載された雑誌の「質」が重視されるとか、

それこそ都市伝説のようにいろいろ語られている。

ところが、その都市伝説はほとんどが根拠を欠いている。

なぜ数が大事なのか、なぜ質が大事なのか、理解していない場合がほとんどである。

 

業績の数が重視されると思っている人は、

たとえば業績が50ある応募者と、20しかない応募者では、

50のほうが評価が高いと信じるに違いない。

業績の質が重要であると思っている人は、

たとえば国際誌に3本載っている人と、国内誌に5本載っている人では、

前者のほうが評価が高いと信じるに違いない。

 

これは明らかに誤解である。

たしかに、50のほうが30よりも「見栄え」がいい。

そして国内誌よりも国際誌のほうが「見栄え」がいい。

しかし、そのままでは「見栄えがいい」以上の評価は得られないのだ。

それらが本当に価値のある業績かどうかは、実は別の視点で決まるのである。

その視点を知らずに、数や質だけで決まると思っている若手は多い。

しかし、そのまま突き進んでしまうと結果的に後れをとることになるだろう。

数のみを追求したり、質のみを追求したりすることは、

それはそれで確かに「あり」な価値観だが、

それ「だけ」では、大学教員の採用人事の現場では通用しない価値観である。

 

もうひとつ、この記事との関連で、「教育」について触れよう。

大学は、高等教育機関である。

学生を教え育てることもまた、大学に課された社会的使命である。

ところで、大学教員と小中高の教員との最も大きな違いとして、

大学教員には「教員免許」も「教職課程」もないことがあげられる。

したがって、この社会的使命に対して、

公に認められた水準の教育技能を有する教員は、ほぼ皆無といってもいいだろう。

そのような制度がないので、当たり前といえば当たり前である。

 

外国では、有名なところではドイツにそのような制度がある。

「教授資格論文」というもので、教授の称号を得るためには、

分厚い論文の提出と厳しい審査に合格しなければならないのである。

したがって、ドイツの教授の質は、制度的に保証されていると言える。

(教授資格論文には、研究水準が高いことを証明するのはもちろんのこと、

自分の専門分野を学生に教えることができる程度に深く理解し、

柔軟な発想でかみ砕いて解説できるかを示す役割がある。

研究と教育は表裏一体であることを、教授資格論文という形で表している。)

 

日本にはそのようなシステムがないので、

大学教員は基本的に「自分で」教育スキルを確立していくことになる。

このとき、授業のモデルが「自分が学部時代に受けた授業」以外にない場合が多い。

つまり、自分が学部生のときに受けた、場合によっては20年も前の授業を、

今でも再生産している教員がたくさんいるのである。

 

20年も前の授業と言うと、「そんな昔のものを!」と笑い飛ばされるかもしれない。

しかし考えてみてほしい。18歳の学生は、20年後は38歳の若手研究者である。

38歳といえば、

大学教員の採用人事を知る1―応募書類編|ダイガク享受|note

で説明した通り、若手中の若手である。

大学において、20年以上前の教育スタイルは年代に関係なく、

ほぼすべての教員が行っている。

 

ところが、現代は大学や教育を取り巻く環境がおおきく変わっている時代である。

時代遅れの教育は、社会の厳しい目にさらされ、なくなりつつある。

上述した過去の授業モデルからの脱却を図り、

よい授業を模索する大学教員が増えつつある。

そんな中で、自分の信念にのみしがみつき、自分が信じる教育しかしない人は、

採用される見込みが少ないのは自ずと明らかであろう。

 

今回の記事では、この「業績」と「教育」について、

それぞれ「研究業績書」および「教育の抱負」で詳しく解説した。

「教育」については、次回の模擬授業にも関連してくるが、

何よりも書類審査で通らなかったら意味がないので、あえて2回目の目玉とした。

 

繰り返しになるが、書類審査は人事の中で最も大切である。

なぜなら、書類審査の次は面接だからだ。

面接に呼ばれた人は、採用される可能性は皆一様に等しいと考えてよいだろう。

つまり、面接に呼ばれた人は誰にでもチャンスがあるのだ。

それゆえ、書類審査をクリアして面接にコマを進めることが最も大事なのである。

この記事は、その書類審査のすべてを書いたものである。

特に「人事担当者は何をどのように評価するか」について詳しく論じた。

いつまでの書類審査に通らず悩んでいる人は、ぜひ読んでほしい。

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